15日火曜日、朝6時第23回会議では、昨夜2号機爆発の可能性があり、自衛隊が一時100kmに避難避難の指示で動いたとのことでした。動揺が走りました。私は、災害翌日から近くの小学校体育館の避難所の手伝いをしながら、対策会議に毎回出かけていました。午後2時の第25回会議、農協から食料供給がストップしたという報告。会津若松市から2万個のおにぎりを届けるというものの30km圏外に取りに来て欲しいとのこと。他県から南相馬に物資を届けたいと県に連絡すると、30km圏内は入れませんと言われ断念したという報告も。

 昨日、何人かいる議員で全員協議会を開いて、今後の議員の活動や、途中で終わっている3月議会定例会の対応を話し合うことになり、15日午後1時より全員協議会を開催する旨の文書を配布したのだが、1時前に行ってみると議長がいないという。
 何処に行ったか連絡がつかない。もちろん、電話、携帯が繋がらないから連絡で確認をしようも無い。困ってしまったが、結局居る議員だけで話し合うこととした。記憶にあるのは、西副議長、横山議員、水井議員、山田議員、奥村議員、小林議員だったと思う。
 結局、3月議会当初予算は、再開できないことから流会とし、審議未了で予算のみ市長専決処分とすることとし、その旨、副議長、議運委員長と私、事務局長で市長に申し入れをした。

それにしても議長は、何処へ行ったのか?心配である。

 学校体育館の避難所も始めの2日は、幕の内弁当にデザートの果物まで配っていたのに、仕出し弁当を作る従業員が避難したため提供できなくなり、その後は、1食おにぎり2個、そして3食が2食になりました。それでも避難者は、いただけるだけでありがたいと、騒ぐ人などいません。私のいた原町第二小学校体育館の避難所は、津波で家を流された家族がほとんどでした。

 4時の対策本部会議で、本部長の桜井市長は、「県の兵糧攻めだ」と言って、その後、NHK夜7時のニュースで、市長は住民の代表として全国に非常事態宣言を出しました。その10分後に新潟県知事から「南相馬市民全員を受け入れます」という第一報が入りました。それから続々と避難を受け入れるとの全国の自治体からの要請が入ります。バスを手配して迎えに行くという要請もあります。急遽、避難の計画作りですが、16日~19日でやりきると決めて進められました。