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(2004.3.29[Mon])
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午後から原町商工会議所の定例総会が開催された。前段で、常議員会があり、その中で「道の駅」運営についての報告がされた。その内容は、3月議会に出されたものと同じだが、議会で確認した内容についての訂正はされていなかった。これはあくまでも商工会議所の要望と言うことである。
よって、議論は伯仲する。この経営計画でやれるのか?資本金2500万は集まるか?3セクか?(市は否定)株式会社とのことだが出資者への配当は2%程度か?誰が責任者となるのか?本来、駅長が最高責任者となるべきでは?受託販売の利益は取りすぎでは?などなどである。 結果、常議員会では結論が出ず、総会の時間もあるため、後日協議することとなった。本来、常議員会で承認されたものが、総会にあがるのだが・・・。 案の定総会でも、意見が飛び交った。「経営トップが会員として集まっている商工会議所で、このような経営計画を了とするのか?」「責任は誰が取るのか」「何が特色なのか?」「市民から反対署名が起こっているが、どう考えるのか?」などなど・・・。質疑に先立って、市から経済部長が経過説明に来られていた。その内容は、議会常任委員会と同じだった。「この施設は、公設民営である」「国の電源交付金の期限が平成18年までのため、時間が無い」「場所については、市民の合意形成を図っていく」「19日には、地元説明会を開いて」「市民アンケートについては、市長が言っているが今は考えていない」とした。私からも、市民の合意形成を図ること、運営は民営で3セクの考えは無いことを質問し確認した。 結論が出ず、今後日を改めて意見交換をしていくこととして落ち着いた。 この運営については、難しくなりそうである。運営が難しいとなると、建設はできないということになる。 |
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(2004.3.27[Sat])
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今日は、午前中聖愛保育園の卒園式に出席させていただいた。たっぱり、かわいいですね。この時の純真な心のままに大きくならないかと思ってしまいます。
午後から会派の会議を行いました。内容は、主に3月議会の反省と今後の対応でした。が、会議が進むに連れて、議論が伯仲しました。主にこの1年間を振り返って、さらに3月議会についてでした。ご存知の通り、我が新政紀クラブは、3年前に4人の議員1期生でスタートしました。以前にも書きましたが、当時1期生が会派を創るなどは、無かったことでしたから、先輩議員からはいろいろとご指導をいただきました。お陰様で成長した部分もあったのですが、改革を旗印にわからないなりにも精一杯チームワークをもってやってきました。 昨年、議員の改選があり、メンバーも新しくなりました。1期生もベテラン議員も入ってこられて、気が付くと第2会派と呼ばれるほどに大きくなっていました。改革の方針は変わることなく、会派会議、勉強会を頻繁に行って議会に臨んで来ました。が、昨年会派の代表水井議員が代表を辞任し、その後退会した経緯もありました。会派は、政党ではありませんので、それぞれが背負っている部分を理解しながらも、中々噛み合わない部分もあったようです。 それでも、今の原町市を、行政をより良くしたいという一身でコミュニケーションを図ってきましたが、今回、一度整理するべきとの意見があり、3月31日付けをもって会派を解散することを決定しました。私としては、発展的解散と理解しています。今後の対応については、個人としてやるか、再度会派を構成するかは白紙です。 いずれこのホームページを通じて報告します。 議員活動に変わりは無く、今後も市民の皆様と一緒に議員活動を勤めてまいりますので、更なるご支援とご意見などご指導をよろしくお願いします。 |
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(2004.3.25[Thu])
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議会が終わったと休む間も無く、今日は合併協議会である。朝19時30分にバスで保健センター出発。
10時開会の協議会では、4首長の意思統一(合併後は1人の首長になるという)がされているか、また、議員については、先日の会津若松市の議会による否決を例に挙げ、そのようなことがないよう今後の対応について質問があった。また、分権分散型の自治組織といっても、どの程度予算執行も含む権限となるのか、実際に財政がどの程度分配されるのかとの質問があった。 先ず、議員定数については、在任特例として合併して新市になっても全議員が2年間は残ることができると法律にあるため、会津の合併協議会ではそれを認めたのだが、報酬が市のレベルに上がり人数が16名もふえることから、コスト削減のための合併に逆行するという民意を受けて、会津若松市議会が否決したのである。 合併については、最終的には議会の承認が必要なため、最後の最後で否決となると、今までの議論も全部白紙となってしまうことになる。我々の南相馬合併協議会においてもそのようなことにならないような議論を重ねていく必要がある。 その後、小委員会があり、今後の具体的スケジュールが提案され(これがまたハード)了承された。午後からは、前回と同じ小高町と原町市の施設をバスで観て廻った。大悲山の観音などは始めてみるものである。 小高町職員の説明に、合併後のお荷物となるのは町立病院と町営住宅との話があったが、それは原町市も同じ。因みに、小高町立病院の負債の累計は4億、原町市立病院は16億である。今後、各自治体からこのような負債(借金)の部分が少しづつ明らかになってくると思うとちょっとゾッとする。 原町市に帰ったのは4時30分だった。 |
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(2004.3.24[Wed])
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いよいよ3月当初予算議会の最終日である。この日の対応策を準備していたのだが、先日の予算の取り下げでそれも無くなり、建設経済常任委員会の委員長の審議内容の報告には道の駅も堆肥センターも含まれていませんでした。故に、反対賛成の対象にもならないというわけです。
一般会計については、共産党の荒木議員から合併反対、大正ロマン事業、駅前北部区画整理事業(これは終了する事業なのだが)それぞれに反対の意見があり、裁決となり賛成多数で議決されました。また、小武海議員からは、市民公募債に対する修正動議だ出されましたが、これも賛成少数で不採択となりました。 全くあれだけ委員会で議論されたものが、一言も議事録で残らず裁決の対象とならなかったのは、返す返すも残念です。 恐らく6月議会にあがってくると思われますので、またそのときの対応となるでしょう。 この件についてご意見などありましたらお待ちしています。 |
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(2004.3.22[Mon])
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今日は、午前中は市内全小学校の卒業式である。原二小に出向いた。こうして、高校、中学校、小学校のそれぞれの卒業式を見てみると、年代に応じた式となっていることがわかる。何よりも小学校は元気である。国歌、校歌、送る歌などが明るい。また、1年生と6年生の姿を比較すれば成長の過程が手に取るように分かるのは面白い。
それにしても、今年も保護者からの謝辞はなかった。(次第の中に無い)のが残念。明るい卒業式もいいが、少しはしんみりもしたい。と思うのは、私だけだろうか? |
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(2004.3.18[Thu])
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あっと驚くことが時々起こるのが、政治の世界。今日もその一つがあった。昨日、委員会で長時間費やして審議した道の駅と堆肥センター建設費を執行部で取り下げたのだ。正確には、この二つの予算を予備費に組み替えて訂正したということである。昨日予告したとおり、建設経済常任委員会としては、委員から修正案を出すことになっていた。2件にまたぐことから事前にその対応について、委員全員で朝9時から勉強会を任意に開くことになった。修正案が出た場合の委員会の進め方をレクチュアして勉強会が終わる間際に、市長から要請があり、勉強会に出席することになった。
話しの内容は、道の駅、堆肥センターの予算をなんとか通していただきたいということである。市長退席後も、委員の中では修正案を出すべきとのことで、提出者と同意者のサインが廻された。 そして、10時の委員会開会が迫ったその直前に、委員長と議会運営委員長が議長室に呼ばれた。暫くして、委員長が戻って来て説明があった。市長がこの2つの予算を取り下げて、予備費に充当するというのである。こちらとしては、ある程度の覚悟というものもあったので拍子抜けした部分と、妥当だと納得する部分が交錯する。そして、時間と共に何故もっと早く、その判断をしなかったのかと残念な思いが湧き上がってきた。 この執行部の決断の裏には、本会議場での議員からの修正案を出された場合に可決される(道の駅と堆肥センターに反対)可能性が高いとの判断があったのだろう。だから、当日、間際ぎりぎりまでのせめぎあいとなった。要は、議会対応ではなく、市民のために原町市のために必要な事業かどうかを精査して自信をもって予算計上されたかである。 その後は、執行部が大変である。訂正された予算案の作り直し(修正部分のみ)や、他の委員会も同時に進んでいたので、ストップをかけ、この訂正を本会議を開いて議員の議決を得なければならない、その準備などがある。事の成り行きを見守るために傍聴に来ていた市民も帰っていった。 本会議は、粛々と進められその後の委員会も予定通りおわった。議会では、こんなことが時々起こる。だから、議会は生き物と言われる所以でもあるかもしれない。 この訂正された予算の2つの事業の根本の問題点は、昨日も書いたが、何よりも情報公開と説明責任を怠った点ではないか。市民のコンセンサスや、協力を得ていればもっとスムーズに進むはずである。事業については1年前から(正確には新市長就任当時から)構想、計画としてはあるのだから、何故ここにきて1500以上の反対署名が集まったのかを執行部としては反省する必要がある。 私が常に言い続けている市民参加のまちづくりや、市長の言う協働のまちづくりになっていくために必要な情報公開、説明責任を実行することなく、行政主導の昔ながらの手法ですすめられた結果でもある。就任2年目の折り返し点を迎えて、市長の政策や行政経営の方針が、職員に浸透しているのだろうか?という心配が過ぎった。 |