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(2004.4.29[Thu])
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午後6時から改革21による第1回の報告会を開催しました。この1月には、新政紀クラブとして行っていますが、新会派となったことから、その経過と3月議会の報告を行いました。なるべく報告を短く整理し、意見交換と質問の時間を多く持ったのですが、それでも時間をオーバーするほどでした。市民は40名ほどの参加をいただきました。
質問者の意見説明が長かったり、対応の甘さへの批判もありましたが、激励の言葉もいただきました。 恐らく会派としてこのような報告会を行っているのは、当会派だけと自負しており、そのため議会として矢面に立つこともありますが、あえて説明責任と情報公開をしていくこと(当然)が、市民の目線に立った議員活動を効率的に図る上で重要だと考え、全力で取り組んでいます。1期2期の若手4名平均年齢46.5歳と経験不足は拭えませんが、問題意識は十分に在るメンバーだと思っております。 代表の話るように、足りない部分もいろいろありますが、それを市民との連携で補っていただき、市民の代表である議員を育てていただくという姿勢で、共によりよい原町市作りをしていければありがたいと思います。 甘いという言葉が返ってくるのも承知の上で、民主主義の原点はコミュニケーションだという信念で、今後も4人がそれぞれの立場で、行財政改革をはじめとしたあらゆる改革を力を合わせ進めて行くことが、地域の活性化と市民福祉に繋がると言う理念でがんばって行きたいと思います。 改めて、よろしくお願いいたします。 |
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(2004.4.28[Wed])
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午後から原町市議会の合併にかかる特別委員会が開催されました。以前にも書きましたが、全員参加の委員会ですが、合併協議会の経過説明と小委員会の各報告がありました。
協議の中で、協定項目にある原子力発電所の扱いで、小高町議会がすでに推進を決議していることについて、原町市議会の対応と、議員定数について、地域自治組織について意見が交わされました。次回委員会では、合併後のシュミレーション(財政、基金、議員にかかる予算措置など)などのデータを提出し、原町市議会としての方向を明らかにしていくこととしました。 |
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(2004.4.26[Mon])
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10時より休会中の常任委員会の審査がありました。午前中は、現地調査で駅前、ポケットパークを見て説明を受けました。駅前の再開発株式会社の解散は、本当に残念です。駅のまん前が空き地というのは、初めて原町市を訪れた人にはどう映るでしょう。これでまた、市街地の活性化が遠のいた感があります。ポケットパークは立派なものができましたが、活性化というよりは、歩行者の利便性を重視したものでしょう。でも、街中にこのようなやすらぎの場所があるというのはいいです。草の生え放題の空き地ではちょっと・・・。
今年度は、栄町3丁目に旭町よりも広いスペースで予定しています。これは、人が集まり活性化する機能を持たせることが、地元商店会と協議されているようです。 もっともっと地元住民、商店会の意見を吸い上げて活性化の施策を図ってもらいたいと思います。議員になった当時から議会や委員会で、常に言い続けて来たことですが、漸くその姿勢が見えてきたと最近感じています。 午後3時半からは会派会議、5時からは市商連の商業祭りの打ち合わせ、6時半からは同友会とハードな1日でした。 |
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(2004.4.24[Sat])
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今日は、新しい会派を市民の皆さんに知ってもらうことと、3月定例議会の報告、さらに29日にひがし生涯学習センターで予定している「議会報告会」の案内を兼ね、午後1時30分から街頭報告会を実施しました。フレスコキクチ前を皮切りに、ベニマル前、ジャスト前、日の出町、桜井町と精力的にこなしました。天候は、雨は降らなかったものの風があり肌寒く感じる日でした。一箇所一人5分の割り当ても、力が入って予定の時間をどんどんオーバーしていきます。自分の番はいいのですが、他の議員の話を立って聞いているのにはちょっと寒すぎ震えていました。
終わったら6時と、日が沈むぎりぎりまでがんばりましたが、どれほどの人が耳を傾けてくれたか気になります。しかし、中身を理解していただくことも大事ですが、こういうことをやって居ることを知ってもらえばいいのかなと思っています。継続は力なり。続けていこうと終わってからの4人の決意がありました。 帰ってすぐに風呂に入って温まった次第です。 |
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(2004.4.21[Wed])
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先週に引き続き南相馬合併協議会の視察研修です。前回は、小委員会の地域自治組織に関してのみでしたが、今回は協議会全体の研修のためバス2台での大所帯となります。行き先は、茨城県常陸太田市と下館市です。
磐城太田市は1市1町2村の編入合併です。常陸太田市は現在39,680人で合併後は61,869人となり、面積も合併後が372平方km原町の合併後と比べても約60%です。 下館市の方は、1市3町の新設合併で合併後の人口は116,120人で、面積は205平方kmと現在の原町市とほぼ同じくらいの面積に2.5倍の人が住むことになります。ただ地形がほとんど平地であるという条件がそれを可能としています。 移動だけで片道5時間をバスというのはちょっと疲れますが、磐城太田市はすでに合併調印が済まされており、議会の議決も得ています。下館市にしても平成15年7月に合併協議会を立ち上げ、新市名称を公募で「筑西市」と決定し、平成17年4月から合併がスタートする先進地のため、条件は異なってもその経過についての課題などを知ることができ有意義な研修でした。 研修内容から、常陸太田市は、編入合併のため現常陸太田市主導で進められ、もっと言えば市長のリーダーシップで進んだというところです。残念なのは、市民の関心が薄く、説明会の出席者も低いということ、それに伴い合併後の議員の定数についても、在任特例により合計68名が市議会議員の残任期間に合わせることで合意しており、これについても市民からの特段の批判(意見)は無いということでした。また、現在の町村役場は支所として残し、その機能については検討中ということでした。 下館市は、こちらも市民の関心は低く、議員の在任特例についても2年間78名とし、その後選挙によって34名となります。農業委員についても同じく在任特例を適用します。市長の説明によれば、新市に移行しても2年程度は地域の代表 として調整していく必要があり、財政的にも長期視点に立てば止むを得ないということでした。これも一理あると感じました。地域自治区については、協議が重ねられ地区審議会は設置しないこととなりました。これは、面積が合併後も原町市程度の規模となるため、ある程度目が届くと判断したものと思われます。 下館市で関心させられたのは、合併の広報でした。月1回8ページオールカラーで、協議会の経過と決定項目とその説明がわかり易くされていたことです。南相馬合併協議会でも是非このようにと、事務局にお願いしました。 でも、予算が・・・という小さな返事が聞こえたような聞こえないような・・・。 この研修結果を、各小委員会の協議に生かされることを期待する次第です。 |
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(2004.4.19[Mon])
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今日は、第4回目の編集委員会が朝9時30分から夕方5時まで行われました。前回3回で。原稿の内容確認と、紙面のレイアウトをおこなって、印刷業者に出していたもののゲラ刷りが、あがってきました。これを校正し、再度業者に出し、再校正して校了となります。
初めての方が多い中、議会の様子を市民に報告するため、皆さん真剣に取り組んでいます。5月1日には、全戸折込となりますので、お楽しみに・・・ |
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(2004.4.15[Thu])
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今日から2日間、南相馬合併協議会の私の所属している「地域自治組織に係る小委員会」の視察が島根県浜田市の合併について研修するために行われました。
何故、そんなに遠くまで視察に行くのかと言うと、この地域自治組織という仕組みについて取り入れて合併を協議しているところが少ないこと。全国でも合併については、西高東低の状況にあり、西日本が進んでる転などが挙げれれます。また、予算も無いことから1泊2日の強行スケジュールとなり、仙台から飛行機で広島まで行くのですが、本数が1日2便しかなく、朝6時に原町市をバスで出発しました。メンバーは書く自治体からメンバーとなっている4名(識者2名、議員1名、助役1名)と、原町市以外の首長が参加、それに事務局という大所帯でした。 内容については、浜田市を囲む4町村の合併で、合併後の人口は65,463人、面積は689.5平方km.となります。<地域の環境は、浜田市が日本海に面した漁港の町で、他は全て山村です。合併を持ちかけたのは、旭町という人口3,200人余りの町で、人口減少率19.%、高齢化率41.4%など、これからの行政経営に危機感をおぼえ、町の施策の維持と住民サービスの低下を防ぎ、合併した後の保障を得るために、地域自治区を提案したという経緯がありました。この提案にも、都市部からの反発がありましたが、具体的中身をつめている状況です。一つの特色は、地域<審議会の在り方ですが、地元住民15名で組織し、本庁の予算編成についても地域の声を反映させることができるなど これからの自治に必要な市民参加と協働を位置づけているようです。課題は、各地域区長をその協議会委員から選ぶのですが、偏りのないものにならないか不安です。 宿泊施設は、地元国民宿舎で、何でも海博のときに天皇陛下が宿泊されたとかと言う触れ込みです。しかし、国民宿舎というだけあって、サービスはセルフで久しぶりに自分で布団を敷きました。2日目は、その旭町さんにお邪魔して研修しましたが、提案者の町長さんは不在でした。広島空港からの往復に利用した高速道は、ほとんど貸しきり状態でした。そういえば、元首相の竹下さんのお膝元だったことを思い出しました。原町市に到着したのはよる10時ころ。そこから飯舘村の方々は、帰るのですからご苦労様です。いずれにしても、職員の皆さんも含めご苦労様でした。 |