14日月曜日、この日から対策本部会議は、朝6時、11時、午後3時、夜7時の4回となりましたが、私は、毎回出席しました。
朝早く妻と娘、義母が山形の長男の所に避難するため向かいました。「後から追いかけてきてね」「早く、必ず来てね」のことばを残して。
そして午前11時の第21回会議で、本部長があいさつを終えるか終えない時、警察官が会議室に駆け込んできました。「屋上で津波を警戒して海を目視していたら、ボンという音が聞こえたので、南の方角を見るとキノコ雲が上がっている」との報告。
会議場は、静まり返り、足が震えます。
「もう終わりだ」本気でそう思った。
本部長の市長は、すぐに事実関係を確認しろと指示を出します。会議は行ったん中止され、正午から再開されましたが、ヨウ素剤の配布をどうするかの議論となり、20歳までに配ることに決めました。
ずっと後になって、あれはきのこ雲ではなく、水素爆発でした。
ビデオ映像でも、煙は少し膨らんでいました。