その後、一睡もできない夜が明けました。昨日の14時46分以降に起こった地震は、翌日の明け方までの15時間に震度3が45回、震度4が11回、震度5弱が3回、震度5強が1回でした。震度2以下を含めると100回以上で、とても眠られる状況ではありません。
 さらに、明け方には長野県北部で震度6強の地震が発生するなど、東日本各地で大きな地震が多発しています。

ニュースで、本日16時から災害対策本部会議が、開かれることを知り、傍聴することにしました。
16時からの対策会議は、すでに13回としており、報告を聞くと昨日中にも地震発生直後から、約1時間ごとに会議を行い、報告と対応に追われていたようです。
まず、原子力発電所の爆発の情報が、警察より入りました。後で水蒸気爆発と知りましたが、緊張がよぎりました。10km圏内の市民外出禁止、よー素剤の配布の議論が出ました。このときすでに、県は10km圏内の県民避難を勧めていました。
この時、すでに職員は(私もそうですが)。一睡もしておらず疲労困憊の状態でした。
この時点で、避難所は、鹿島8箇所1,514人、原町区19箇所2,225人、小高区7箇所2,436人。

19時より第14回の会議
発電所爆発の報告が、誤報(水素爆発)と確認。一方、避難区域を半径20km としたため、ラインを概ね太田川を境とする。
小高区民の原町区への非難誘導が始まる。避難市民は、小高区1万2000人、+浪江町約4,000人を想定。
停電は、東北で16万5000戸と報告あるが、原町区の市街地は、明かりがある。
県からの毛布1,000枚がまだ届かないと報告。
遺体発見は、107体。