今日、午前中の中学校の卒業式を終え、午後13時より議会の一般質問が行われ、竹野光雄議員の質問途中、14時46分、地響きの後、これまでにないとてつもない大きな地震が発生しました。発生当初は、われわれ議員の執行部は4階の議事堂におり、立っていられないくらいの揺れに、議場のドアを開け、窓ガラス越しに見た外の景色は、屋根瓦が落ちていく多くの家と、信じがたいほど波打っている電線と、揺れる電柱の姿でした。

あまりにも長く、一度治まりかけてさらに大きく揺れだしたこの地震は、ただ事ではないと直感しました。南相馬市役所は、数年前に耐震構造の改新工事を行っていたため、我々は助かったのだと後で悟った次第です。

職員の中にはおびえて悲鳴を上げる女性もおり、全員が庁舎の外に飛び出しました。その後も余震が、起こるたびにしゃがみこむものや、悲鳴を上げる声が聞こえました。
庁舎では、テレビをつけて情報を収集しようとしていた矢先に、津波発生の防災無線やテレビニュースのアナウンサーの声、それが6mであったり、いや10mというものでした。

後で知ったのは、さらにその倍のとてつもない大津波でした。
私は、そのようなことを知る由も無く、まず自宅に戻り、みんなが無事か確認しました。一番下の娘は、震えて店のスタッフたちと駐車場で丸くなっていました。

さらに隣近所、商店街をぐるっと周り、被害が無いか聞いて回りました。家が傾いたり、かわらが落ちたり、2階の壁がはがれて電柱に引っかかっているなど、危険箇所について役所の土木課に報告し対処してもらうよう頼みました。

その後、市では食料物資の確保を災害時に協定を結んでいる商店連合会に繋いでほしいとのことで、いくつかの知り合いのパン屋さんや弁当屋さんに、できる限り用意してほしいとお願いして回りました。

私のいる街の中では、翌日の災害対策本部会議の報告を聞くまで、津波の大きさも甚大な被害を及ぼしたことさえ知らないでいたのです。

※この記録は、災害発生当時に書いたものではなく、その後電話回線が普通となり、インターネットが使えなくなったため、復旧してから記憶と、メモなどの記録をたどって後日書いたものです。